HISTORY 由緒・歴史
01 / 創建

和銅元年八月十五日、千三百年の祈り

投谷八幡宮の創建は、奈良時代の和銅元年(七〇八年)八月十五日と伝えられています。当時、九州南部の大隅国に鎮座した古社のひとつとして、地域の人々の祈りを受け止めてきました。

大隅半島でも屈指の歴史を誇る当宮は、応神天皇、神功皇后、仁徳天皇の三柱を御祭神としてお祀りし、安産・子育て・子宝の御利益で篤い信仰を集めてまいりました。

神社基本情報

正式名称
投谷八幡宮(なげたにはちまんぐう)
通称
投谷八幡(ナゲタニハチマン)
旧社格
郷社
例祭日
10月15日に近い日曜(王子神幸祭)
創建
和銅元年(七〇八年)八月十五日
投谷八幡宮 境内全景

投谷八幡宮 境内

02 / 由緒

大隅正八幡の別宮として

投谷八幡宮は、鹿児島神宮(大隅正八幡)の別宮として、古くより重要な位置を占めてきました。鹿児島神宮は大隅国の一宮であり、その別宮としての格式は、地域の信仰の中で特別な意味を持つものでした。

また、薩摩・大隅・日向を治めた島津氏、そして大隅の有力氏族であった肝付氏からの篤い崇敬を受けたことも、当宮の歴史を語る上で欠くことができません。歴代の領主は当宮を厚く保護し、社領の寄進や社殿の修繕、和歌や懐紙の奉納を通じて、その繁栄を支えてきました。

島津氏との縁

慶長七年(一六〇二年)、薩摩藩初代藩主となる島津義久公、そしてその弟である家久公の両公がこの地を参詣し、和歌を奉納されたと伝えられています。後の文化二年(一八〇五年)には、第二十七代藩主島津斉宣公の短冊二枚も奉納されました。これらは今も当宮の社宝として大切に保管されております。

03 / 復興

令和四年、そして再び祈りの場へ

令和四年、投谷八幡宮は予期せぬ火災に見舞われ、長年にわたり地域の祈りを受け止めてきた社殿が焼失するという、極めて痛ましい出来事を経験いたしました。

しかしながら、不幸中の幸いとして、市指定文化財である「王子面」、そして社殿の歴史を刻む棟札・妻板は奇跡的に難を逃れ、現在も大切に保管されております。これらの貴重な文化財は、当宮の歴史を未来へと繋ぐ、かけがえのない宝物です。

令和4年の火災で焼失した社殿

令和四年の火災により焼失した社殿(奥に見えるのは仮宮)

仮宮での祭祀

現在は仮宮にて参拝を承っております

現在、地域の皆様、崇敬者の皆様の温かいご支援を頂きながら、社殿再建に向けた取り組みを一歩ずつ進めております。御祈祷や御朱印などは、現在仮宮にて対応させていただいております。

千三百年の祈りを未来へと繋ぐため、皆様の変わらぬご支援を心よりお願い申し上げます。

04 / 社宝

受け継がれる社宝

当宮には、長い歴史の中で奉納・伝来した貴重な社宝が数多く伝わっております。

島津義久公(第17代藩主)
詠歌懐紙 2枚/短冊 2枚
島津家久公(第19代藩主)
詠歌懐紙 2枚/短冊 2枚
島津斉宣公(第27代藩主)
詠歌短冊 2枚
刀剣
康綱の刀
社殿関連の社宝
棟札/妻板(社殿の歴史を刻む貴重な資料)
05 / 摂末社

境内の摂末社

当宮の境内には、本社のほかに六社の摂末社がお祀りされております。古くより地域の人々の様々な願いを受け止めてきた、それぞれの神社です。

平成二十九年(二〇一七年)には、大隅町大谷に鎮座しておりました稲荷神社を末社に加えることになり、現在は当宮にて合わせてお祀りしております。

06 / 年表

投谷八幡宮 略年表

和銅元年708
和銅元年八月十五日、投谷八幡宮 創建と伝わる
中世
鹿児島神宮(大隅正八幡)の別宮として位置付けられる
慶長七年1602
島津義久公・家久公両公が参詣、和歌を奉納
文化二年1805
島津斉宣公の短冊二枚が奉納される
明治以降
郷社に列せられ、地域の鎮守として伝統行事を継承
平成27年2015
「投谷八幡宮の王子面」が曽於市指定文化財に指定(4月15日)
平成29年2017
大隅町大谷の稲荷神社を末社に加える
令和3年2021
「投谷八幡宮のイチョウ」「投谷八幡宮の石體」が曽於市指定文化財に指定(3月9日)
令和4年2022
火災により社殿焼失。王子面・棟札・妻板等は難を逃れる
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